私が思い描く京都でなくとも【京都】
夜行バスに乗って関西を訪れたときのことだ。
2019年の日本、その中でも特に京都は、空前の訪日外国人観光客ブームであった。そのためこの日は、人混みを避けるよう、朝7時に嵐山に向かった。
嵯峨嵐山駅から竹林に向かう途中、早朝にも関わらず営業している飲食店が目に入った。飲食店といっても、屋台のような小さな店である。
私はその飲食店に対して、強烈な違和感を覚えていた。
蕎麦、うどん、湯葉。いかにも京都にありそうな屋台である。しかしよく見ると、水餃子や胡麻団子、中華ちまきといった、和食とは言い難いメニューが並んでいた。
そこは、中国人が経営する、外国人観光客だけをターゲットにした屋台であったのだ。
これでは、本当の日本文化ではない食文化が外国人に伝わってしまうのではないか。私は、複雑な思いを感じながら嵐山の竹林を歩いていた。
一方で、京都の観光地で中国人が商売をしてはいけないというルールはどこにもないのである。
外国人観光客であれ日本人観光客であれ、その屋台で売られている食べ物を美味しいと思えば、それでよい。
竹林を抜け、渡月橋へと向かっていた私は、昔どこかで読んだ旅雑誌のことを思い出していた。
スペインのバルセロナに関する特集記事だ。
その雑誌によると、バルセロナは、オリンピックが開催された1992年前後で、大きく変わってしまったという。
バルセロナ市民の為のバルセロナから、観光客の為のバルセロナになってしまった。そう書かれていたと記憶している。
そのことに対するバルセロナ在住のお爺さんの言葉が、とても印象的であった。
日本人、というより私の思い描く京都と違う何かがあったとしても、京都は京都。街は常に変化する。そんなことを強く感じた旅であった。
早朝にも関わらず、外国人観光客の姿が目立つ竹林の小径。
追記
その後、新型コロナウイルスの流行により、京都の観光業は大きなダメージを受けた。中国人が経営していたあの屋台は、今も存在しているのだろうか。
〜この日のルート〜
土曜の夜、京都駅近くのゲストハウスに宿泊。翌朝、早朝の薄暗いうちにJRで嵯峨嵐山駅へ。竹林の小径〜渡月橋を散歩し、再びJRで京都駅へ。12時、ぷらっとこだまで予約していた新幹線こだま号に乗り、夕方には帰京。